2025.02.07
エジプトに行ってきました

先日、エジプトに行ってきました。
エジプトは濃かったです。
約5000年前の遺跡であるピラミッド。
なんて美しいんだろう!と思います。
でも、初期のピラミッドはこんな感じ。
どんどん改善されて
ピラミッドを作り始めて100年強で大幅に技術が進化し、シュッとしてカッコ良く、巨大化したギザの三大ピラミッドができました。
関わった全ての人が、天才だったと思います。
古代エジプト文明の遺跡は色々ありましたが、壁、柱、天井にビッシリと絵やヒエログリフが描かれ、すごい情報発信量でした(全部意味が分かったらいいのに!)。
ベースである石に下絵を描き、彫り、ペイントした染料が石に滲み込んでいて、今なお鮮やかな色彩が残っている遺跡がたくさんあります。
中には「下絵を描いてココは終わってしまいました」みたいな部分もあったりして。
ところで、現在のエジプト人の9割はイスラム教徒なので、一日に何度も、どこにいても「アザーン」を耳にします。アザーンというのは「イスラムの礼拝が始まるよ!」というお知らせで、少し音程がついたお経みたいな感じの男性の声が流れます。言葉の意味が分からないので、異国情緒を感じます。
でもピラミッドや神殿が作られた所謂「古代エジプト」の時代は、イスラム教ではなくて、自然や原理の化身としての様々な神様(多神教)が信仰されていたんですよね。その後、1世紀に入って、原始キリスト教であるコプト教会が設立されると、みんなが一旦キリスト教に流れ、その後、7世紀にアラブに征服されてからはみんながイスラムへ改宗していき、今に至ります。
ちなみに、当時のキリスト教(コプト教)信者は、古代エジプト人たちが信仰していた神様たちやヒエログリフをメチャクチャ削っています。
上から言われたのか、自主的にやっていたのか、強い執念を感じます。
削りやすい範囲でやっているのか、遺跡の上の方は無事なことも多く、また、ナイル川の氾濫で流れてきた土砂で埋まった遺跡は、埋もれた遺跡の下の方と手の届きにくい上の方が無事で、当時地上部で程よい高さだったであろう中間部分だけガリガリ削られていたりします。
ちなみに、古代エジプトの神殿の上にモスクが建っていることもあります。
古代エジプトの神殿がナイル川の氾濫による土砂で半壊したり埋まったりして、その下に神殿があるということを知るや知らずや、後世の人がモスクが建てたらしいです。
ナイル川の氾濫でコツコツと蓄積された土砂の深さに驚きます。農地的には、作土層も深かった・・ということになるのでしょうかね。
そして、そのナイル川。
とても長くて広いです。
ナイル川をクルーズで移動すると、景色が変わって面白いです。
ルクソール名物の気球。
ナイル川は、1970年にアスワン・ハイ・ダムが建設されるまでは、夏になれば氾濫し、腐植やミネラルをたっぷり含んだ水で農地をたっぷりと潤していました。なので、氾濫期には農業は出来ませんが、それでもすごく良く作物が採れていました。
ちなみにアスワン・ハイ・ダムの閘門(こうもん)は、観光名物になっており、閘門を待つクルーズ船が渋滞します。
アスワン・ハイ・ダムはナイル川の氾濫防止と水力発電、農業用水の安定化等を目的として作られたもので、メリットも多いのですが、これまでほぼ定期的に農地に流れ込んできた腐植とミネラルが農地に流れ込まなくなったせいで、農地が痩せてきているようです。なんと、現地ガイドさんが「ダムが出来たから、土が痩せて農薬をたくさん使わないと作物が採れなくなっています」と言っていました。そのような話をガイドさんから聞けるだなんて!
エジプト農業では、小麦の栽培が盛んです。
もともとナイル川の氾濫で豊かな土壌があったせいで、古代エジプトの時代からナイル川流域では小麦がよく育っていました。遺跡にも、パンを作っている絵が描かれていたりします。ちなみに、エジプトのパンはすごく美味しいです。甘いパンが多くて、エジプト人には非常に糖尿病が多いらしいのですが。
パン大好きエジプト人ですが、自国で食べるパンの材料である小麦は、国産だけでは足りず、世界一の小麦輸入国です。
なので、少しでも小麦生産量を増やすために、エジプトでは、国家予算を使って砂漠にも畑を作り、小麦を育てています。
エジプトの砂漠は国有地で、軍が所有&管理しています。
ちょうど、アブシンベルからアスワンにバス移動している時に、砂漠の中に広がる畑を見かけました。
大規模な機械化した農業です。
ガイドさんが言うには、この畑のあるヌビア砂漠は、掘っても水が出ないので、ナイル川から水を持ってきているとのこと。
ものすごくコストがかかっています。
で、誰が農作業を担っているのかというと、徴兵制で集められた兵士です。
エジプトは徴兵制があって、男性は必ず兵役につきます。大卒は1年、高卒は2年、そうした学校に行っていない人は3年、が基本だそうです。そして、兵役はメチャクチャきついらしく、ガイドさんは、今でも夢に見るそうです。
そんな砂漠の農業は機械化が進んでいますが、ナイル川流域の小規模な農地では、まだまだ人の手が中心のようです。
用水からナイル川の水をドシャーッと一気に流し込んでいる様子も見えます。
エジプトは、水資源の95%をナイル川に頼っていますが、そのナイル川の上流はエチオピアにあります。そして、そのエチオピアは、巨大なダム「グランド・エチオピアン・ルネッサンスダム」を建設しました。
その下流にあるエジプトは、このダムに危機感を持ち、エチオピアと揉めています。ナイル川の水は、エジプトにとって安全保障問題です。干ばつ時にもちゃんと流してくれるのか、水量が減少したら・・・もう、ワタシの気持ちはエジプト寄りですので、心配は尽きません。
そして、水源問題は、ホント、ちゃんと考えた方が良いですよね、日本も。
現地ガイドさんの話題の引き出しが充実しており、バス移動中等に聞く現代エジプトについての話もすごく興味深く、色々と考えさせられてたエジプトでした。
最後に。
総工費の半分以上を日本が円借款で協力して建設した「大エジプト博物館」は、すごく良いです。説明プレートにグーグル翻訳を当てると、意味の分かる日本語に翻訳されるので、たっぷり一日かけて、端から端までプレートの説明を熟読しながら楽しみたい場所です。